





Roberto Pietriは1979年にヨシムラからGS1000を購入し、YOSHIMURAのサポートを受けてAMAスーパーバイクに、自費でTZ250とTZ750でGP250とF1に参戦していました。
1979年のオフ中に、このYOSHIMURA GS1000はRoberto Pietriがアメリカホンダに加盟する条件として研究用に持ち込まれ、徹底的に分解、研究されてAHM CB900Fのスーパーバイクの礎になりました。

Roberto Pietriは親しみ易い性格と人の良さで交友関係が広く、あのBarry Sheene(一緒に写っているのはStavros)とも仲が良く、1979年のシーズンオフに、自分の個人所有するベネズエラの島に招待して、一夏をマリンスポーツをして豪勢な接待をしたそうです。



1980年にはAMAスーパーバイクにはアメホンのサポートを受けてCB750FとRS1000で自費で参戦。


同年、Barry SheeneレーシングからRGB500を駆り何度かレースにも出ています。
今の、Moto GPのKarel Abraham的なベネズエラのお金持ちの御子息だった様です。






1981年もアメホンのCB750FとRS1000(形状的にモリワキレーシングの鉄フレームか?)で戦いました。
この年にRoberto Pietriは鈴鹿の8耐に来日しており、Dennis Zickrick、Mike Velasco、Jyo Bitoの仲介でモリワキと繋がりを持ち、1982年シーズン前にテスト用にモリワキのアルミフレームを2本、アメホンが手に入れたようです。


1981年のシーズンオフには、Marco Lucchinelliとも仲良くなり、後にRoberto Pietriはイタリア国籍を取得し、
息子に、Robertino Pietriというイタリア風な名前を付けます。
同時に息子にもイタリア国籍とアメリカ国籍を取得します。







1982年シーズンにはMarco LucchinelliレプリカのグローブをしてAMAスーパーバイクを走りました。




1982年のF1はモリワキ製のアルミフレームのRS1000で走りました。




1982年のトランスアトランティックにはBarry Sheeneとの友情の証としてナンバー#7を付けて#38 Steve Wise車(背面点火のFWSスイングアームの車両)で走りました。
この時に#38 Steve Wiseのゼッケンと共にライトケースも外されてしまい、急遽取り付けた#7のゼッケンには、ライトケースはTransatlanticのレギュレーション上に問題なかった為に取り付けられていませんでした。
1981年仕様はハンドルと一緒にライトステーに固定し、ライトケースはステムに連動していました。
なのでゼッケンには3つしか取り付けの穴が無かったのです。
因みに1980年仕様は、ライトステー&ライトケースにゼッケンが取り付けられています。




後に#7を付けた#38 Steve Wise車は、その後1981年用のFreddie Spencerの三つ穴のスペアゼッケン#19をつけて日本に売られます。
その為に1981年の#19 Freddie Spencerのスペアゼッケンを取り付けた#38 Steve Wise車にはAMAレギュレーションで義務付けられていたライトケースが有りません。
1981年用のゼッケンをつけたので、ライトケースを取り付ける穴も空いていません。





1982年に鈴鹿でモリワキ製のアルミフレームのRS1000でノンクロスのRSCのマフラーをテストしています。
8耐の写真と帰国時に日本の某所に廃棄されガラクタに埋まってしまった#88 Roberto Pietriのモリワキアルミフレーム車。 今は某所に引取られましたがレストアが終わればクラッシックレースに出てくるのか期待しましょう!




1983年はアメホンからではなく、VANCE&HINESからVF750FRK(RC15)でAMAスーパーバイクに参戦。




翌1984年は#11 Roberto Pietriレーシングとしてプライベート参戦しています。
掘り下げて行くと面白いですね♪



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